THE21「一流の読書術vs.二流の読書術」

PHPから出ている雑誌「THE21」が読書の特集をしていたので読んでみた。
目次をざっと見て岩瀬大輔さんと成毛眞さんの名前が目に留まった。
岩瀬さんのあとに成毛さんを持ってきたのはわざとなんでしょうか。岩瀬さんは多読否定派、成毛さんは本は10冊同時読めの多読派。でも記事を読むと二人が言ってることはほとんど同じように見えた。

岩瀬大輔さん
・月20冊程度本を買い、ちゃんと読むのはそのうち数冊
・著者名と経歴で本を選ぶ
・目的を持って読む、目的なしに読むのはジムでだらだら1時間走って運動した気になっている駄目な人と同じ
・自分の今の仕事にどう使えるのか、常に頭をすり減らしながら読む
・拾い読み派。完全に本を読むこと自体には意味はない。
・1冊の本で、一箇所だけ自分に役に立つ箇所を見つけるようにするといい
・すぐに役に立たない場合は、ブログに読書感想文を書くといい。

とても正直な内容で、気持ちいい。拾い読むというのは考えてみれば合理的な方法なんだけど、自分の場合、読書は小説から入って一時期のめり込んでいたから、本は完全に最初から最後まで読まないといけないという思い込みがある、ということに最近きづいた。だから本を読むか読まないかを0か1で考えて、役に立つところだけ読むということに抵抗感がある。これは慣れの問題で変えることができるから、ケースバイケースで実用書などはもっと効率よく読めるように今から気をつけることにする。

成毛真さん
・本をトン単位で数えるほど多読する
・目的無しに読む
・読書はビジネスには役に立たない。でも本を読んでない人とは話が合わない。
・常に関係ない分野の本を同時進行で読む。
・新刊本はサイトですべてチェック
・完全に最後まで読む本はほんのわずか、つまらなかったら途中で読むのをやめる、無駄な本を読むほど人生は長くない。
・一つの本で一箇所でも、いい箇所があれば十分。
・たくさん本を読めばいい本を見分ける力は自然とつく

一見すると勘違いされそうな記事の内容。
成毛さんは趣味の読書といっているけど、この記事が載ってる雑誌がビジネスマン向けの雑誌という・・・。
この趣味の部分を頭にいれてフェイルタリングして読むと、上の成瀬さんと言っていることは似ていると思う。
自分に取って役に立ったのは、二人とも本を全部読むことはせず、必要な部分だけを読むという合理的な行動をしていることでした。

二人の記事を読んだ後に雑誌の最後の方を見ると小雪さんの綺麗な癒される写真があって、まんまと癒されました。

佐藤優 「自己啓発は手段であって目的ではない」

今週の東洋経済、佐藤優「知の技法 出世の作法」は「自己啓発は手段であって目的ではない」でした。
教養の話はよくわからなかった。
以下メモ、強引にまとめてるので連載の内容とは違う部分もあると思います。

・勉強にのめり込む人は多いけど、何のために勉強しているのか目的が明確でない人が多い。
・東大で講義をしていた立花隆さんと話していたとき、教養を教えてくださいという学生が来て困ると言っていた。
・自然科学の教養は、実験によって繰り返し同じ結論が出るので法則として残る。
・人文系の教養は、自然科学のように実験できない。だからある個人の伝記として残る。
・勝間和代の著書でよい記述がある。真実とかは存在しない、同じものでも見方により、真実は変わる。

今週はよくわからない部分が多かった。
一番頭に残ったのは
「教養は時間を短縮する」という部分。

新型アクセラの取り回しについて

新型アクセラセダン
アクセラセダンを真横から、しゃがんで撮った写真。新型アクセラは角度によってずいぶん違って見えます。最初はやけに大きく見えてたリア下部のバンパーは見慣れると全体のデザインのバランスを整えるのに効いているのがわかってきました。バンパーだけみるとアンバランスに見えるけど、全体を見るとあそこにボリュームがないとバランスが悪いんですよねぇ。

ところでタイトルにつけた、新型アクセラの取り回しについて。最初はアクセラは結構幅が広そうなのと、慣れてないのもあって狭い道を曲がるときなど恐る恐る曲がっていました。ちなみに運転しているとき、前部のバンパーの角は全く見えません。以前新型プリウスに試乗したとき前方の車幅感覚がわかりくいと感じたけども、今思うとアクセラとそんなに変わらない気がしてます。落ち着いてしばらく乗ってみないと冷静な判断はできないですね。

それで新型アクセラですが1ヶ月ほど乗って慣れてみると、予想以上に取り回しがいいかもと思うようになりました。前部パンパーのコーナー部分が角ばってなくて緩い丸型になっているのが大きい。最初に思っていたよりもずっと突っ込んで曲がり角を曲がれる。アクセラを前方から見ると後ろから前に向かってだんだん車体が細くなっている感じがするけども、あれが取り回しに効いているんでしょうね。フロントの開口部がパックリ空いているから、そこに注目するとフロントが大きく見えるけど、全体で見ると案外フロント部分は細い。もっとフロントにボリューム持たせるとドッシリ感はでるけど、取り回しがいっきに悪くなることが容易に想像できます。

そんなわけで取り回しが案外良さげ、とわかってくると駐車場に止めた自分のアクセラを遠くから眺めたときなど、今までよりコンパクトに見えるようになってきました。

ホンダの燃料電池車を開発している藤本幸人さん

ネットのロイターニュースにホンダで燃料電池を開発している藤本幸人さんが出ていた。
以前、この藤本幸人さんのことはNHKの仕事の流儀という番組を見て知ったんですが(NHKプロフェッショナルの流儀「ホンダの燃料電池開発者、藤本幸人」:参照)、相変わらず雰囲気が若かった。最先端で研究開発をしているんだから、想像がつかないようなプレッシャーや喜びがあるはずで、それが若くしているのかなと思った。

FCXクラリティ コンセプト
ホンダが開発している、「FCXクラリティ」はこれ。自動車としてかなりの完成度になってるらしい。

ホンダの燃料電池車「FCXクラリティ」は製造コストが1台1億円近く、今のところリースで日米で合計10台、リース代は月84万円くらいとのころ。これから3年間で200台出荷していくなかで量産技術を確立していくらしい。

インタビューの動画を見ると、水素という燃料と、レアメタルの問題について語っていた。水素は、一般の人にとって馴染みがない燃料だから、よく理解されていないのが問題で、これから教育して、みんなに知っていってもらうことをするみたい。レアメタルは、燃料電池車の場合、触媒として使うらしく、その名の通り量が少ない金属なので、量産する場合どうするかという問題があって、これは、逆にレアメタルだからこそ、それを回収し、リサイクルする仕組みを作りやすいんじゃないかという話だった。

LEDのライトに虫が寄りにくい理由

たまたまテレビを見ていたら、最近普及してきたLEDの照明についての特集があっていました。
その中で、LEDは紫外線をほとんど出さないので虫が寄りにくいという話が出てました。
そうなんだぁ、と納得した気になったもののどうして紫外線が出ないと虫が寄りにくいかはっきりとはわからないので自分で調べてみました。

虫には人間が見える可視光線が見えず、逆に人間には見えない紫外線が見えているから、その紫外線を出さないLEDライトには虫に寄りにくい、という説明を見てもよくわかりません。

まず、紫外線が何なのかよくわからないから光の基礎知識がから調べてみました。
太陽光線を波長という光の種類を分けるときに使う物で分けると

波長短い 紫外線→可視光線(青→緑→赤)→赤外線 波長長い

という順になるんですね(右に行くほど波長が長い)
それで、昆虫にはほとんど紫外線の部分しか見えないらしいです。人間は可視光線の部分、つまり青とか緑とか赤が見えますが、逆に昆虫に見える紫外線は見えないんですね。よく昆虫と人間では見えている世界が違うといいますが、こういう理由によるんですね。

で、LEDの照明ライトというのはこの紫外線をほとんど出さないらしいんですね。だから人間には明るく見えるけど、昆虫が見ると何も見えない、つまり存在してないのと同じで、結果として昆虫が寄りにくいということみたいです。

昔映画でプレデターというアーノルド・シュワルツネッガー主演の映画があって、その中で敵役のエイリアンから隠れるために体を冷やすという場面がありました。あれも光の仕組みを利用したもので、あれは紫外線じゃなくて、赤外線でしたが、エイリアンは赤外線スコープのようなものを装備していて、獲物、つまり人間を探していました。赤外線という物はどんな物質からも出ていて、温度が高いものほど赤外線を多く出すらしいです。だから赤外線を感知できる装置を持っていればどんなに暗くても関係なしに、生き物とか熱を発するものの動きがよく見えるという仕組みで、夜間の監視カメラなどに使われているんだとか。よく赤外線ゴーグルなんて名前を聞きますがこういう仕組みだとやっとわかりました。なんで物体から赤外線が出ているのかとかの理屈はわかってませんが・・。

ついでに、赤外線は英語で「infrared ray」といいます。これは「赤より下」という意味で、上で書いた波長の並びを見るとわかりますが、赤外線は可視光線の赤よりさらに波長が長いからこういう名前がついたようです。どうして「下」という表現なのかはわかりませんが。携帯で使う赤外線通信のことをIR~ということがありますが、あのIRは「infrared ray」の頭文字だったんだとわかって何気に嬉しいです。

一方、紫外線の方は、英語で「Ultraviolet」、つまり紫を超えた、という意味で、日本語でも同じ意味ですが、これも上の波長の並びをみるとわかりますが、紫外線は紫色(可視光線の青、緑、赤でいうと、青の付)のさらに外側にあるのでこういう名前がついようです。